花とジャズの夕べ


 桜が咲くと風が吹く。
 桜が咲くと雨が降る。
 そんないやがらせのような現象が繰り返され、さあ、週末は花見をするぞ! と意気込んでいるうちにすっかり散ってしまう。
 それが、ここ数年の春の始まりだった。
 たいていの日本人は桜が好きで、特に私のような『冬大嫌い』人間にとっては、あの可憐な花の開花ほど待ち遠しく、心浮き立つものはない。
 ワシントンのホワイトハウスで、現地駐在の日本人が、あろうことか桜の下にゴザ(いや、ピクニックシートかな?)を敷き、上野公園さながらの宴会を開いてえらい顰蹙を買ったことがあったという。
 でもその気持ちはわからないではない。桜ときたら、ゴザと酒と、相場が決まっている。
 長い冬が終わり、厚いコートから軽いジャケットに着替え、空を見上げると淡いピンク色のかわいらしい花々が視界いっぱいに広がる。
 こうなったらむくむくと『宴会』という言葉が湧き上がってくるのは自然の摂理というか、もはや日本人のDNAに組み込まれているのではないだろうか。

 私はわいわいと飲むのも好きだけれど、桜はじっくり静かに見つめる方がいい。
 あれは学生時代、満開の桜が都会を彩っていた頃のこと。友人たちと荻窪界隈で飲んだくれた後、夜の井の頭公園に忍び込んだ。
 すでに午前様。当然、電灯は消され、園内は暗い。それでも月明かりと桜の花びらが白い影を落とし、所々に場所取りのビニールシートが敷かれているのがくっきりと目に映る
 特にあてもなく歩き続けているうちに、どこからか、かすかなウッドベースの音が聞こえてきた。その方向に目を凝らすと、明かりが灯る場所が見える。
 私たちは早足でその明かりを目指した。やがて広い場所に出ると、そこでは大きな焚き火が焚かれ、ジャズバンドが生演奏を披露しているではないか。
 見物客はほんの数人。誰もが酔っ払いついでに夜桜見物にやってきた輩のよう。
 私たちは近くに敷かれていた大きなビニールシートに座り、しばらくジャズの演奏を聴いた。シートにひっくり返って見上げると、焚き火に照らされた、満開の桜が空を覆い隠している。なんて幻想的な光景。
 生演奏のジャズをBGMに、私はうっとりと桜を眺め、時間が過ぎるのを忘れてしまった。こんな経験はやたらと出来るものではない。
 何年か経ってから、夜の井の頭公園へ行ってみた。ジャズバンドもいなければ、焚き火も焚かれていなかった。
 ひょっとしたらあの夜の、あの美しすぎる光景は、夢だったんじゃないかと思うことさえある。
 でも、誓って言うけど泥酔して見た幻覚では決してない。
 あれから何度、春が巡り、何回、花見の席を経験したことだろう。
 それでも、どんなににぎやかで楽しい花見の席も、あの日本一贅沢な夜桜にはかなうことはない。今も私にとって、春という季節の、一番の思い出である。


 


TOPHOMENEXT(coming soon)