恐怖の休み時間
『休み時間』というからには、これは現在の『OLのランチタイム』ではなく、小学校時代の話である。
小学3、4年の2年間はクラス替えがなく、担任も同じであった。新任したばかりの、小柄でかわいらしい女の先生で、生徒の人気者だった。もちろん私も大好きだった。のだけれど・・・・・・。
この先生、2時間目と3時間目の間の長い休み時間とお昼休みには、必ず生徒を誘ってドッヂ・ボール大会をするのだ。しかも、毎日。
しつこいほど強調しているけれど、私はスポーツ、特に球技が大の苦手で、中でもドッチ・ボールほど恐ろしいものはないと今でも思っている。
強制はされなかったけれど、運動会やら球技大会やらでちょっと失敗すると、
「ドッヂ・ボールに参加しないからだ!」
と、クラスメイトから怒られることもある(大きなお世話だ)ので、10回に1度くらいは仕方なく参加していた。
もちろん、最初は外野にしてもらう。けれど、そのうち中にいる人数が少なくなると、必ず、
「最初から外野の人、入ってー!」
ということになる。
そして、恐怖の時間が始まる。
とっととボールに当たって外に出たい気持ち半分、でも当たったらやっぱり痛いだろうという気持ち半分。乙女心は微妙に揺れ動くのだ。まだこの年齢だと、当然、男女混合なわけで、男子なんか本気になって力一杯投げつけてくるので、恐ろしいったらありゃしない。
しかも、私のような運動音痴は、格好の標的となるわけである。
なぜ、こんなものに皆、嬉々として参加しているのか、一体、何が楽しいのか、私にはさっぱり理解できなかった。
私は断言する。
ドッヂ・ボールは、スポーツなどではない。
これは、SMだ!!
だって、痛めつけて喜び、痛がって喜んでいるのだから。立派なSMではないですか。
時は流れ、大人になってからだけれど、やはり、
「ドッチ・ボールが大嫌いだった」 と言う人とめぐり会うこともあった。そして、皆、一様に私の『ドッチ・ボール=SM』論に賛同してくれた。
こんな恐ろしい競技が学びの杜にはびこっているなんて、絶対に教育上良くない。
高校を卒業し、文系の大学に入った時、もう死ぬまでドッヂ・ボールをやらなくて済むかと思うと、やっと平和な人生が訪れたという気がしたものだ。
あの先生はどうしているだろう。 高校受験の暁には、地方新聞で合格者の名前を探し、
「合格おめでとう」 の電話を一人一人にかけてくれた、優しい先生。
ドッヂ・ボール好きには閉口したけれど、やはり私が出会った中では、『良い先生』に違いない。
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