馬並みごはん


 基本的に、出されたものは残さずに食べる。たとえ自分でお金を払っていても。最後まで食べきることが、食肉となった動物たちへのせめてもの供養と思っているからだ。
 幸い、私は少食ではないし、好き嫌いもほとんどない。けれど、そんな私にも限界というものはある。
 国もでっかけりゃ、野菜もステーキもでっかい。そう、アメリカの場合、半分も食べれずにギブ・アップということが多々起こり得るのだ。
 パターンとしては、メニューからメイン・ディッシュを選ぶと、サラダのドレッシングの種類を聞かれる。じゃがいもかライスか、いもはマッシュ・ポテトにするのか、フライド・ポテトにするのか、ベイクド・ポテトにするのか・・・・・・。
 一通り注文を済ますと、まず、サラダが運ばれてくる。これがまた半端な量ではない。直径20cmはある皿にてんこ盛りである。日本のランチ・タイムで、お飾りのようについてくるしょぼい物ではない。いい気になって食べていると、メインが出来上がるまでに胃袋が埋まってしまう。さすがに学習したので、ビールを飲みながらつつく程度に留める。いもはベイクド・ポテトにしてもらうことが多い。男性の握りこぶしほどのじゃがいもに、バターがほどよく溶けている。これも1つ丸ごと食べるのは、かなり勇気がいる。おいしいんだけれど、あまりにも大きいので、途中であきてしまうのだ。
 何度かアメリカで食事をした中で、私が忘れられないのは、ニューヨークで食べた『バーベキュー・コンボ』というやつである。夜、お目当てのクラブを探しつつ、まずは腹ごしらえと、目に付いたレストランにふらっと入った時のことだ。
 普段は魚類を頼むことが多いのに、この夜に限って、無性に肉が恋しくなった。お決まりの大盛りサラダをフレンチ・ドレッシングで食べながらビールを飲んでいると、ウェイトレスさんが両手に大きな皿を2つ抱えて近づいてきた。
 まさか・・・・・・。注文したディナーが運ばれてくる瞬間はまさに至福、となるはずなのに、テーブルに置かれた皿を見て、私は凍りついた。呆然とする私に、ウェイトレスさんが一言残して去っていく。
「I hope you are hungry.」
 Lサイズのピザが乗っかりそうなお皿の上には、自分の頭と同じくらいの大きさの鶏が丸ごと一匹、スペアリブが4本。 もうひとつの皿にはかぼちゃのようなじゃがいもと大量の温野菜。
 我にかえった私は、もう、笑うしかなかった。
 これだけの量でたしかUS$10くらいだったのだから、驚きだ。
 サイド・ディッシュには手をつけず、ひたすら肉にしゃぶりつき、3分の2ほどを残し、降参。鶏さんにも豚さんにも申し訳ないことをしてしまった。
 日本とアメリカという2つの国がなければ、地球上の半分以上の動物が食用にならなくて済む、と聞いたことがある。そんな話を聞くと、人間であること、飽食・ニッポンに生きている罪深さを感じざるを得ない。
 ただ、アメリカの良いところは、残ったものはお持ち帰り、というのが習慣的になっているところである。
「Doggy bag(犬の餌の意)」
 とひとこと言えば、アルミホイルに包んで、袋に入れてくれる。翌日、レンジであたためて昼食代わりにしたりと、決して無駄にはしない。
 これが日本だと、『持ち帰る』イコール『みっともない』と定義されてしまっているので、救いようがない。これはもう、店側が積極的に
「お持ち帰りなさいますか?」
 と聞いてくれるしかない。まあ、そうなると商魂たくましい日本人のことだから、
「パック代、10円かかりますが・・・・・・」
 てなことになるんだろうな。

 旅先だと残念ながらお持ち帰り出来ないことが多い。日本人観光客が多い場所であれば、『ジャパニーズ・サイズ』なるものを作ってくれると嬉しいんだけれど。


 

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