カウントダウンの喜怒哀楽


 気が付いたら、すでに新しい年。ここ数年そんな年越しが続いている。
 夜11時を過ぎると自然、眼瞼が重くなり、目が覚めるとお正月の、もうすでに日も高くなった時間というパターン。
 なぜ年越しくらい起きていられないのか。
 原因はずばり、お酒である。
 主人も私も一般企業に勤めているわけで、当然、31日はお休み。休みの日はお酒を飲み始める時間も早ければ、ピッチも早い。 というわけで、翌日も休日とわかってはいても、いつもと同じような時間帯におねむになってくるというわけだ。
 ところで、昨年に続いて今年も海外で新年を迎えた。 バリでもプーケットでもリゾート・ホテルでは『ガラ・ディナー』という年越しパーティが行われ、ゲストは強制的にこれに出席させられる(というか、宿泊費に含まれてしまっている)。
 なんたってお祭り騒ぎの大宴会である。私たち夫婦は根っからの5時から人間なので、こういう賑やかな雰囲気にあってはとてもじっとしていられない。いつになく絶好調でお酒がすすむ。
 とかなんとかやっているうちに、大酔っ払いとなり、カウントダウンを待たずして部屋に引き上げる。2年越しで同じことをやっている。 まあ、今回は喪中ということもあり、ほどほどに飲んでカウントダウンは遠慮しようと思っていたので、分相応な年越しだったのだろう。
 考えてみればまともに『年越し』を体験したのは、ニューヨークのタイムズ・スクエアでのカウントダウンの時が一番記憶に新しい。'98〜'99かけてのことで、それより以前のことは覚えていない。きっと毎度のパターンで、夢の中で新年を迎えていたのに違いない。
 もう一度ニューヨークでカウントダウンをしてみたいな、と思う。 タイムズ・スクエアに集まる誰もが新しい年の幕開けを祝い、路上は半狂乱の大パーティ会場と化す。
「Happy New Year!」の掛け声が響き渡るマンハッタン。見知らぬ者同士が、肩を叩き合い、新しい春を祝う。
 彼らが普段、どんな生活をしているのかはわからないし、いろんな事情で、もしかしたら不安を抱きながら新年を迎える者もいるかもしれない。なにしろ、ミッドタウンを埋め尽くすだけの人間が集まっているのだ。人の数だけ人生があって当たり前。誰もが本当に心底Happyな気持ちでいるとは限らない。けれど、どこを見渡しても笑顔しか目に映らない。
 一年の計は元旦にあるというけれど、どんな状況であっても、せめて新しい年に変わる瞬間に笑っていれば、きっと幸せは訪れると、考える人も多いのではないか。
 マンハッタンの興奮はいつまでもおさまらない。もつれ合いながら酒場へと消えて行く人々、いつまでもストリートにたむろして声掛け合う人々。
彼らが眠りにつくのは、おそらくその年初めての太陽が昇り始める頃。 まだ真っ白な1年を、夢の中でそれぞれの色に染めていくのだろう。


 

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