パトン・ビーチのポパイ


 このところ、連日、インド洋スマトラ沖地震/津波の様子を映したビデオが放映されている。最初はすごい、怖いと思いつつ見入っていたけれど、日々凄惨になってゆくシーンを見続けていると、さすがにもういいじゃないかと思うようになってきた。各局が競うように寄せ集めては視聴率を取ろうと奮闘しているようで、やるせない。
 プーケットのパトン・ビーチに押し寄せる黒い波。私が泊まったホテルもビーチに近かったので、おそらくかなりのダメージを受けたことだろう。
 実を言うと、プーケットにはあまり良い思い出はない。滞在中、ずっと天気が悪かったのもあるけれど、旅の大きな楽しみのひとつでもある、現地の人々との温かい交流というものを全く体験できなかったからだ。ここの一体、どこが『微笑みの国』なのだ? と不思議に思ったものだ。
 そんな中にあって、思い出すたびに口元が緩んでしまう出来事が、ひとつだけあった。
 プーケットいちの繁華街、パトン・ビーチの通りを散策していると、大きな白い犬が目に止まった。小さな土産物の屋台で、ご主人らしき女性の足元に行儀よく座っている。優しい表情がなんとも愛らしく、つい、ちょっかいを出してしまった。手を差し伸べると指に鼻を近づけて、くんくん。しばらく頭を撫で、じゃあ、またね、と立ち去ろうとした瞬間、のっそりと起き上がった。
 犬はそのまま私たちの後ろに続いた。飼い主は止めようともしない。いつものことさ、とばかりに涼しい顔をしている。
なんとか振り切ろうと早足になっても、ずっと付いてくる。土産物を選んでいる間はおとなしく待ち続け、歩き出すと再び私たちの後を追う。なんだか、尾行されている気分・・・・・・。
 結局、買い物を終えてホテルの玄関に着くまで、私たちのガードマンよろしくぴったりと張り付いて離れなかったのだ。
 翌日も、その翌日も、街へ出るとその犬は私たちを目敏く見つけ、後をつけて回った。パトン・ビーチにはたくさんの犬が放し飼いにされていて紛らわしいので、名前と付けようと、勝手に『ポパイ』と呼ぶことにした。別に意味はない。とっさに思い浮かんだだけ。
 一度、オープンカフェのレストランで食事をしていたら、しばらくしてポパイも中に入ってきてしまった。猫一匹くらいなら目立たないものの、ポパイかなりの大型犬である。ウェイターが、
「君の犬?」
 と聞くので、
「いえ、友だち」
 と答える。そこまで私たちと一緒にいたいのかと、うれしくもなったが、食事する場所に犬がいては嫌がる人もいるだろう。困惑する私たちの気持ちを察知したのか、ポパイはするっとテーブルの下に潜り込んだ。まったく吠えない犬なので、その後は気づかれることなく、無事に食事を終えた(しかしプーケットの魚料理はどこもおいしかったなあ)。
 そんな風にして、短い休暇は過ぎていった。
 最後の夜。いつものようにホテルの玄関まで見送ってくれたポパイに、
「元気でね!」
 と手を振ると、まるで役目を終えたかのようにさっと踵を返し、てくてくと街へ戻っていった。ポパイには、別れがちゃんとわかっていたのだ。
 あの日々は一体なんだったんだろう。天気のせいで、せっかくの海も楽しめなかった私たちに神様がくれた、ちょっとしたプレゼントだったのかもしれない。どんな『人』と会話したのかも覚えていないのに、ポパイのことだけは、滞在中ずっと空を覆っていた分厚い雲を払いのけてくれるかのように、輝きを放ちながら私の胸に今も鎮座している。
 どうかあの恐ろしい濁流の中に、ポパイがいませんように、と祈る反面、結構図々しいところもあったので、しっかり生き延びているんじゃないかとも思う。いずれにせよ、知る術はない。つまらなかった、で終わるはずだった旅に素敵な思い出を添えてくれた一匹の犬に対して私ができるのは、無事を祈ることと、いつまでも微笑みながら思い返してあげることだけだ。



 

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