バブリー・ドライバー


 せっかくの100作記念なのだから、それにふさわしいお話を・・・・・・。と、気負っていたらなかなかアイディアが浮かんでこないので、いつもの調子でなんてことない話題を書くことにした。
 バブル時代に社会人を経験した人ならおわかりになるだろうけれど、あの頃の都会のタクシー事情といったら、そりゃもう、はちゃめちゃなものだった。決して大袈裟ではなく、商売人であれだけ客に対して威張っている職業なんて、ちょっと思いつかなかったくらいだ。
 私が勤めていた会社では(この頃は派遣社員)、午後10時を過ぎるとタクシー・チケットがもらえた。仕事が午前2時、3時まで終わらないことなんて、ざらだったから、この頃は頻繁にタクシーに乗っていた。おかげで東京の地理なんて全くわからない方向音痴の私でさえ、会社から家までの道程をすっかり覚えたしまった。
 ある夜、いつものように午前0時を回ってからようやく仕事を終え、私は会社で呼んでもらったタクシーに乗り込んだ。だいたいの道を伝え、後は疲れた身体をシートに埋めてぼんやりと窓の外を見ていた。家まであと一歩、という時、ドライバーが突然、私に聞いた。
「ここ、曲がればいいんすよね?」
 すでにウインカーを出し、減速を始めている。
「いえ、この先のつきあたりです」
 すると、いきなり急ブレーキをかけ、
「言ってくれなきゃ、わかんないじゃないですか!!」
 と、怒鳴りつけたのだ。あまりのことに唖然として、何も言い返すことができなかった私。今思い出しても腹が立つことのひとつである。
 だいたい、タクシー・ドライバーが道を知らない客に逆ギレするなんて、どう考えたっておかしいじゃないか。 だったら、地方から出てきた、都内の地理なんぞ全く知らない客を乗せた時は、一体、どうするつもりなのだろう。
 しかしながら、これくらいならまだましな方で、ある人は、海外からきたクライアントさんを送る際に乗ったタクシーで、やはり道が良くわからないという理由で、散々文句を言われたそうである。クライアントさんからは、
「彼は一体、何を怒っているのか?」
 と、不思議がられ、説明に相当困ったらしい。
 それでも、乗れるだけ運が良い、という時代でもあった。終電が終わった週末、女一人が手を挙げていても、絶対にタクシーは止まらなかった。目の前にいくらでも空車が通り過ぎていく光景に憤慨しつつ、雪の中、2時間立ち尽くしたこともある。ドライバーが言うには、夜になると、若い女性はどんなに近くてもタクシーを使うので、儲けにならないんだそう。逆にカップルは男が女を送った後、自分の家に帰るケースが多いので、そういった、『金になりそう』な客を選ぶのだそうだ。
 気持ちはわからないでもないけれど、そんなおいしい時代がいつまでも続くわけがないと、彼らは気づかなかったのだろうか。
 先日、ニュースの特集で、最近のタクシー・ドライバーの悲痛な状況を知った。不景気で客足が遠のいたことに加えて、タクシー業界の規制緩和によりドライバーが増え、収入が激減したタクシー・ドライバーの話である。
 中には良いドライバーもいただろうし、ひょっとしてこのエッセイを読んで下さっている方の中にも関係者がいるかもれいないので、こんなことを言うのは気がひけるけど、 まあ、自業自得だよ、 というのが私の正直な感想だった。 客を客とも思わないような仕事のやり方を押し通してきたツケなのだ、と。 バブル崩壊後にタクシー・ドライバーとなった方には誠に気の毒な話だけれど。
 バブルがはじけたとはいえ、努力とアイディアで客足を伸ばしている商売だって存在している。でも、タクシーって、どうアイディアを絞っても、『個性』を出すことって、なかなか難しいのではないか。海外では電飾タクシー、カラオケ・タクシーなんてのもあるけれど、お堅い日本では、そのあたりの規制は厳しいのだろう。
 バブルがはじけたおかげで、ひとつだけ『いいこと』があったとしたら、簡単にタクシーをつかまえられるようになったことだ。そして、ドライバーは皆、生まれ変わったように親切なった。
 もう一度景気が回復して、あの狂乱の時代が戻ってきて欲しいとは思うけれど、またタクシーの運ちゃんに怒鳴られるのだけは、いやだなあ。


 


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