TOKYO WATER
東京出身の父に連れられ、子供の頃からよく上京する機会があった。
覚えているのは、父の実家近くの花やしきで遊んだことくらいなのだけれど、もうひとつ鮮明な記憶がある。
「どうして東京の水はこんなにまずいんだろう?」
と驚いたこと。グルメな子供だったわけではない。あまりのまずさに、本当にびっくりしたのだ。
時は流れ、東京での一人暮らしが始まった。水道水はそのままじゃとても飲めないので、やかんで一度沸かし、それを冷蔵庫で冷やして飲んだ。当時は今みたいに何種類ものミネラル・ウォーターが売られてはいなかったので、それしか方法がなかったのだ。ミネラル・ウォーターというものは、あくまでも災害時の飲料水というのが常識だった時代だ。
それでも慣れというのは恐ろしいもので、喫茶店等で出される水も、いつの間にか抵抗なく飲めるようになってしまった。
あれほどまずいと感じていたのに、臭みもほとんど感じなくなっている。そんな私はどうやら時代に逆行していたようで、世にはありとあらゆる種類のミネラル・ウォーターが出回るようになった。どこでも簡単に手に入るようになったので、私も便乗。
一時期、ボル○ィックばかり飲んでいたことがある。
ある時、実家に帰省した私は母に頼まれてスーパーへ買い出しにでかけた。ついでに、いつものボル○ィックを数本、買い物籠に入れる。
家に戻り、袋から品物を取り出していた私に母が聞いた。
「それ、何なの?」
「何って、水だよ」
「それをどうすんのよ」
「飲むんだよ」
すかさず母は、馬鹿と一言、言い放った。そして、飲み比べてみろと、コップに汲んだ水道水を差し出す。
水道水=まずい、という数式が頭の中で完全に成り立っていた私は、すっかり忘れていた。故郷の水は、ミネラル・ウォーターなんぞより、ずっとずっとおいしいことを。
静岡のお茶はおいしい。日本有数のお茶の生産地ということもあるけれど、何よりも、水が良いからだ。 だから都会からの旅行者は錯覚する。土産で買ったお茶を東京へ帰ってからで飲んで、あれ、と思った人もきっと多いことだろう。水がおいしいからこそ、お茶の香りも引き立つのだ。ミネラル・ウォーターなんて、故郷の家では不要の代物だったわけだ。
ところで、違う意味で『東京の水』は私に合っていたようで、故郷で暮らした年月よりも長く住み着いて今に至っている。あいかわらず水道水はそのままではとても飲めないけれど。
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