困った時のMam頼み


  部屋着兼パジャマのズボンのゴムがだいぶ伸びてきて、動いているとずり落ちてくるようになってしまった。うっかりすると、半ケツ状態である。うざったいのでだぶついた布をまとめ、ヘアゴムで縛っておいた。とりあえずは応急処置ということで、それで過ごしていたら、2日目に亭主に見つかってしまった。
 私としては放っておいてもかまわないのだけど、亭主はそうもいかない。予想通り、すぐに私にゴムを持ってこさせ、ズボンを脱ぐよう命じる。
 あとはおまかせ。亭主がゴム通しをしてくれるというわけだ。
 私はとにかく昔から手先が不器用で、縫い物、編み物、まったくもってダメである。裁縫道具なんて、見るのも嫌だ。ボタンひとつ縫い付けるだけで、本当に気分が悪くなってくる。先端恐怖症というわけでもないんだけれど。
 だから家庭科の授業なんぞ、体育と並んで恐怖の時間以外の何ものでもなかった。ミシンに糸を通すという初歩的段階からしてセンスのかけらもないことを痛感する。ここを通して、こちらをくぐらせて、と、教えられてもなかなか覚えられない。英単語を50個覚える方がはるかに楽だ。だいたいからして、複雑すぎるのだ(もっと単純な作りにできないものかね)。
 そして実践に至っても、私は首を傾げるばかり。
 なぜ、他の人の布はまっすぐ進むのだ? なぜ針と同じリズムで布がスムースに動くのだ?
 誰にもできることが、私にはどうしてもできなかったのだ。
「あなたは、家でやってらっしゃい」
 まったく作業が進まないので、見かねた先生がそう告げる。こうなったらしめたもの。うっしっしとほくそえみながら持ち帰る。
 そして、当然、母にやってもらう。
「ほんっっっとに、しょうがない娘だねっ!」
 とブツクサ言いはするけれど、母は、手芸に関してだけは、完全に私という人間を見限っていた。ブラウスもパジャマもマフラーもクッションも、中学、高校を通じて、家庭科の時間に『私が作った』物は、ぜーんぶ母の作品なのだ。
 お陰様でそこそこの成績はもらえたけれど、未だにミシンに糸は通せないし、だいいち、持ってもいない。
 そんなわけで、裁縫に関しては、当然亭主にも全く信頼されていない。ほころびが出来たスーツのズボンも母が来る日まで我慢して履いていた。申し訳ないとは思うけれど、ほつれたスカートの裾を、両面テープでごまかしている私は、ほころびを治すなどという、高度なテクは持ち合わせていない。人にはそれぞれ、才というものがあるのだ。
 ところで、私は針一本まともに扱えないくせに、布には目がない。 これからの季節、大活躍するであろう、アジアで買ったバティック。これらも全て母に送り、サロンにしてもらった。
 他にも使い道がありそうな布が今もタンスの肥やしとなっている。テーブルクロスやカーテンにしたら素敵だろうな、と、それらを取り出しては妄想にふけるだけで、決して裁縫箱を開けることはない。


 


TOPHOMENEXT