眠れぬ夜の静寂


  私の実家は、観光地の中でも一番の繁華街のド真ん中にあった。周囲は一杯飲み屋やらスナックやらストリップ劇場やらに囲まれ、昼間は静かなれど、夜ともなると、当然のことながらものすごくうるさい。
 しかも私の部屋は道路に面した1階である。
 酔っ払いの嬌声、けんかの罵声、スナックから漏れてくるベースのリズム。
 カラオケがまだ普及していなかった頃は、防音もお粗末なもので、ひどい歌声を、夜な夜な否応なく聴かされていた。
 つまり、酔っ払ったおやじたちのダミ声が、私の子守唄だったわけである。
 でも慣れというのは恐ろしいもので、そんな騒音の中にあっても、毎日、ぐっすりと眠っていた。

 小学校低学年の頃だったと思う。 松崎にある親戚の家に、夏休みの数日間、兄と2人で遊びに行ったことがある。その家も民宿を経営していたのだけれど、兼業だったので規模も2部屋と小さく、 家族が使う部屋も最低限しかなかった。なので、夜はおじさん、おばさんと一緒の部屋で寝ることになった。
 兄はすぐに眠りにつき(この人は実家に泥棒が入って大騒ぎになり、パトカーが駆けつけてもなお寝ていた経歴の持ち主)、昼の仕事で疲れたおじ&おばも、電気を消してほどなく、寝息をたて始めた。
 静かな夜だった。かすかに虫の声が耳に届くだけで、一切の物音も聞こえない。
 私は何度も寝返りを打ちながら、眠りが訪れるのを待った。けれど、なかなか寝付けない。枕が違うから、というのでもない。不気味なほどに静かな空間。それが、次第に恐ろしく思えてきたのだ。一歩外に出れば真っ暗な空洞がぽっかりと口を開けて待っているような・・・・・・。
 本当にここは人の世なのだろうか。夜とはこんなにも長く、孤独なものだったのか。
 いつもの騒音が懐かしかった。紛れもなく生きている人間が作り出す音が恋しかった。 結局その夜、ようやくまどろんだのは、窓の外がうっすらと明るくなった頃だったと思う。

 静かな場所ではとても眠れない。
 子供心にそう確信した。
 何年か経ち、山の中に住む友人の家に泊まりに行った時も、やはり静か過ぎて眠れなかった。
 大人になってからはあまり関係なく眠れるようになったけれど、それは音云々ではなく、単に毎夜の晩酌のおかげだろう。
 それでも、なかなか寝付けない夜もある。そんな時、いつもあの松崎の夜を思い出す。
 ようやくうとうとしかけた頃、隣の家のにわとりがバカでかい声でトキを作り、すぐに目が覚めてしまったこと。寝不足だったはずなのに、子供というのは元気がありあまっているもので、翌日は一日中海で遊んでいたこと。当時の松崎の海の透明度は素晴らしく、両手いっぱいのさくら貝を拾ってお土産にしたこと。
 いつしか光景は懐かしい夏の日々に変わり、私は眠りにつく。
 松崎の叔父も叔母も、もういない。
 あの街も変わっただろうか。それとも、今もまだ静寂の夜が、日々訪れているのだろうか。


 


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