オナラジヲ


 先日の帰り道、商店街の洋服屋さんの前を通りかかったら、『ち○こ鍋』と大きな文字が入ったTシャツが目に入った。
 なぬ!?  と、思って引き返し、よく見てみると、『ちゃんこ鍋』だった。
 そりゃそうだ。ち○こ鍋なんぞ、誰も食べたくはないし、Tシャツに印字するとしても、もっと気の効いた言葉はたくさんある。
 さらにそこから十数メートル。今度はお肉屋さんの前。ちらっとお惣菜コーナーに目をやると、『筍とキノコのクリームコロッケ』とある。
 へえ、タケノコをコロッケに? 珍しいな・・・・・・と、近付いてみたら、なんてことない、『旬(しゅん)のキノコのクリームコロッケ』だった。
 よく見間違いをする日だ。今夜はアイ○ンで目を洗って、ぐっすり寝よう、と考えながらスーパーに立ち寄り、家に戻る。夕食の仕込みを終え、ようやく腰を下ろして一服。 さっそく新聞を開き、TV欄をチェックする。すると、民放のショートプログラムに『オナラジヲ』という番組が・・・・・・。
 なんて奇妙なタイトルをつけるんだろう。オナラはわかるけど、ジヲとは一体、なんぞや? あんまり上品なタイトルじゃないな。そう思っていたら、やっぱり違って『オナジソラ』だった。わざわざカタカナ表記にしなくたっていいじゃないか。紛らわしい。

 私は子供の頃からずっと視力は良くて、20代前半までは右2.0、左1.5を維持していた。学生時代、よっぽど勉強をしなかったんだろうと言われちゃいそうだけれど(まあ事実だ)、特に目の周りをマッサージしなくても、暗い場所で漫画を読みふけっても、この視力が落ちることはなかった。背を伸ばせばひょっとしたら、湘南ビーチからハワイの椰子の葉くらいは見えちゃうんじゃないかと思ったくらいだ。
 このスーパー視力に翳りが見え始めたのは、ワード・プロセッサーが世に普及し始めた頃と一致する。会社に1台しかなかったものが、1人1台となるまで、時間はかからなかった。それに伴い、私の視力も少しずつ、少しずつ衰えていったのだ。
 特に、専属のワープロ・オペレーターとして一日中ディスプレイに目を凝らすようになると、あれよあれよという間に、1.0を切ってしまった。 おまけに腱鞘炎にはなるし、あー、もうだめだ、働けない、と絶望しかけた頃に仕事が変わったので、腱鞘炎はかなり回復したけれど、一度落ちた視力はなかなか元に戻らない。
 かといって、目を休めたり、目に良いものとされるものを食べたり、家ではPCをなるべく見ない、なんて予防策も何もしていない。
 ところが、ここ2〜3年の健康診断では視力が回復傾向にある。 10月の検査では右1.2、左1.0だった。 裸眼でこれなら生活に全く不自由はないし、そのおかげでありがたみを忘れる。
 コンタクトの亭主に目が悪いとどれだけ大変かをしょっちゅう諭されるのだけれど、一晩寝るとやっぱり忘れてしまう。
 今はのん気に構えていても、歳をとれば、徐々に本を読むのも辛くなってくるだろう。
 両親はそろって視力が良かったのにもかかわらず、2人とも60の声を聞く頃になると老眼鏡をかけ始めた。
 オナラジヲをオナラジヲとしか読めなくなる日は、足音をしのばせて、けれど確実に近付いてきているのだ。


 


TOPHOMENEXT