豚色の電車に乗って


 季節柄、新聞広告や電車内の掲示でも大学の入学案内をよく見かける。
 受験も追い込みか。今は大変でも、これから楽しい楽しい大学生活が待っているんだな。あー、うらやましい。

 ジャンクフードを思い出すと、やはり、それらを必然的に食べざるを得なかった大学時代のことが蘇る。
 受験に関するあれこれはまたの機会に書くことにして、とりあえず1校だけ無事合格し、憧れの東京・一人暮らしが始まった。
 そう言うと聞こえはいいけれど、肝心のキャンパス・ライフはほのぼの・・・というより、至極退屈なものだった。
 なぜなら私の通った大学は、東京ではなく埼玉、しかも、とんでもないド田舎にキャンパスをかまえていたからである。
 中学〜短大までは都心にあるくせに、4年制だけは隅っこに追いやられていたというわけだ。
それでも私は東京にこだわった。池袋を拠点とすれば、学校とアパートを往復するのに問題はない。
 そんなわけで、初めての東京暮らしは西武池袋線の桜台から始まったのである。
 通勤ラッシュに揉まれて池袋まで出ると、埼玉へ一直線に伸びる私鉄に乗り換える。当時の車体はクリーム色をしていて、私はこれを豚色と呼んでいた。
 で、その豚色の電車に揺られること数十分、某駅に着いたらバスでさらに数十分。このバスがくせもので、時間通りに来ないし、ものすごく混んでいるし、道は慢性的に渋滞しているし、9:00から始まる1限目に間に合わせるためには、かなりの早起きが必要だ。
 けれど、先生方とてそこは同じ。授業の開始が30分近く遅れることなんて、当たり前だった。
 バスは田舎道を走り続ける。そして、いい加減立ち疲れた頃、バスの中にお馴染みの匂いが漂ってくると、学校はすぐそこ。
 キャンパスのすぐ前にあった養豚場の豚たちの匂いだ。風向きの悪い日は、校舎の中にまで匂いがこもっていた。
 豚色の電車に乗って辿りつくのは、豚の匂いが立ち込める女たちの花園だった。
 それにしても・・・・・・。女子大の目の前に養豚場があるなんて、絶対に間違っている!
 想像していた花の女子大生生活を、キャンパスに見出すことは早い段階であきらめざるを得なかった。
 けれど、ド田舎にあったおかげで授業が終わるのはとても早かった。4時過ぎには全ての授業が終了。再び豚色電車に揺られ、17:30には家に着く。当然、暇をもてあますので、アルバイトに精を出していた。
 文系のせいか、単位も取りやすく、3、4年生の頃は授業は週に2-3回、それすらも行かない日があったりと、のんべんだらりんとした生活を送っていた。
 バブルな時代だったので、就職のことも深く考えずに済んだし、本当に極楽トンボな日々だったなあ。
 でも、今考えると、ずいぶんもったいない時間の使い方をしたと思う。
 もう一度学生時代に戻れるのなら、あれもしたい、これもしたいと、考え出すときりがない。
 皆、同じようなもんだろうか。ま、考えても時間が盆に乗って帰ってくるわけでもなし・・・・・・。
 豚色電車は卒業する頃、車体が新しくなった。白地にブルーのラインが入った、すっきりしたデザインだったと思う。
 あれから十数年。
 養豚場の豚たちは、今も女子の花園に、匂いを送り続けているのだろうか。


 


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