Seventeen's War


 前回はキャンパスライフについて書いたから、さらに遡って受験のお話(最近、昔話が多い気がする。年かしら・・・・・・)。
 元々東京に実家がある方はいいけれど、田舎から未成年が単身、上京しようという場合、やはりそれなりの大儀名分が必要だ。
「私は将来、○○で生計を立てたいから、東京にある専門学校に行くんだ!」
 とか、
「△△で働くなら、何が何でも東京の本社で活躍したい!」
 とか、まあ、そこまで確固たる野望を持った高校生は少ないと思うけれど、私の場合、さしたる希望もなく、ただ、東京で遊びたい! 一人暮らしがしたい! できれば、4年間。という単純な理由から大学を受ける決意をした。
「何校受けてもかまわないけれど、現役合格が条件、女の浪人なんて、格好悪いから」
 と昭和一ケタ生まれの父は言う。
 受験体制に入るのがかなり遅かったので、文系狙いとはいえ、英・国・社、3教科を網羅するのは無理そうだ。
 で、英語と国語2教科だけで受験できる大学はないか、日々、目を皿のようにして大学受験案内の分厚い本を眺めていた。
 はたして、そんな都合の良い大学があるのか。
 あったんですね、これが。今はどうか知らないけれど。
 かくして志望校も決まり、私の受験戦争が始まった。
 時間は限られているし、勝負は次の春、一度きり。しばらく使っていなかった脳みそをフル回転させ、夜遅くまで教科書にかじりつく。
 そんな私を見て、ある日、父は言った。
「お前の入れる大学があるぞ!」
 どこか、コネで入れるところでもあるのだろうか? 辛い勉強の日々に、光が射した気がした。
「ど、どこ?!」
「バカ田大学」
「・・・・・・」
 んな冗談につきあっている暇はないんである!!
「どこでもいいから、推薦で入れるところに入ってしまえ」
 と両親は口を揃える。
 そう言われても、私は理数系の成績が壊滅的だったので、推薦が可能な大学となると、とてつもなくランクを下げなければならない。
 安くはない学費を出してもらうんだから、
「大学はどちら?」
 と、聞かれた時に思わず口篭ってしまうような学校には行きたくない。
 とりあえず短大も視野に入れ、5校に絞り、翌2月を迎えた。
 
 大寒波の冬だった。数年ぶりの大雪が、連日、故郷の街を白一色に染めていた。東京ではいとこの家にお世話になったり、ビジネスホテルに泊まったりと、枕が代わったのと緊張のせいで、試験の前日だというのになかなか寝付けない。特に新宿の某ホテルは壁が恐ろしく薄く、隣の部屋のおやじのいびきが一晩中聞こえ、一睡もできなかった。
 受けたのは全て女子大(偏差値が低くても、『女子』とつけば聞こえがいいと思ったから。ははは)。試験を終えて外に出ると、我が子の受験に付いてきたお母様方がずらりと並んでいる。これから大学生になろうってのに、しかも最低でも17歳にはなっているはずなのに、親がついてくるなんて、信じられない思いで試験会場を後にしたっけ。
 そんなことも全て、合格の瞬間、笑い話に変わった。18歳の誕生日の一日前。雪もすっかり溶けた、小春日和だった。
 結果は1勝4敗。
 間一髪で浪人を免れ、私は晴れて花の女子大生となったのである(その後の経過は前回書いた通り)。

 ところで最近、聞き慣れぬ大学名が多すぎる。おそらくはバブル全盛期にこぞっておっ建てられた学校なのだろうけど、少なくとも私が受験する時には存在しなかった大学がいくつもある。
 バブルがはじけて入学者が激減し、それに伴い偏差値も落ちるところまで落ちていき、今じゃ『金さえ払えば誰でも大学に入れる』時代になってしまった。
 それだけが原因とは一概には言えないけれど、ここ数年、大学生の犯罪が多くないか?
『○○大学の学生を逮捕』などという言葉をニュースで頻繁に聞くようになったのは、ここ数年のことだと思う('60年代後半の学園紛争時代は別として)。
 せっかく大学に入れたんだから、犯罪なんか犯していないで、おおいに遊び、おおいにバイトし、金貯めて旅行にでも行けばいいのに。もったいない。



 


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