恋愛の傾向と対策



 などという講習会が本当に行われているのだ。絶句である。
 対象は30代の独身女性。講師はもう少し年配の女性である。TVでちらっと写っただけなので、詳しい内容はわからないけれど、
「この世代の男性は一度目の誘いを断ることは少ないので・・・云々」
 要は、意中の人をいかに振り向かせ、結婚まで持ち込むか、ということであろう。真剣にメモを取り、頷く女性たちの姿に、言葉は悪いけれど、私はただ呆れるばかりだった。
 いい年こいて、男に告白するためにお金を払ってアドバイスを受けようなんて、情けない限りである。女子高生が恋占いの雑誌に夢中になるのとは、わけが違うのだ。
 あれこれ作戦を立てなくとも、ましてや人に教えられるまでもなく、運命の人とは必ず結びつくものだ。
 あなたは結婚してるから、そんな悠長なことを言えるのだ、と仰る方も多いだろう。けれど、私は断言できる。 亭主と出会わなければ、今も独身だったかもしれない。それでも私はそんな講習会に参加するつもりは毛頭ない。マニュアル通りに動けば釣れるおめでたい男なんぞ、願い下げである。
「どうやって知り合ったの?」「どんなきっかけで結婚が決まったの?」
 20代も後半にさしかかった女性によく訊かれる質問である。私が不思議に思うのは、それを知って、一体どうしようというのか、ということだ。 私の場合、カラオケ・ボックスでナンパされ、あっという間に同棲、そのまま結婚という形になった。言葉にすれば簡単なようだけれど、そこにはありとあらゆる偶然が重なり合っている。
 つまるところ、全てが運命による導きだったのだ。 そして人の運命というものは、言うまでもなく人それぞれのものだ。
 私が今の幸せに巡り合えたことに理由があるとすれば、たったひとつ。
『傷つくことを、決して恐れなかった』からだろう。
 惚れっぽい私はたくさん恋をした。それなりに楽しい恋もあったけれど、殆どは悲しい恋ばかりだった。惨めな想いもしたし、馬鹿にされたりもした。けれども、過ぎ去った恋にいつまでもすがることなく、次の恋に希望を馳せていた。
 もうあんな悲しい想いはしたくない、と、誰と付き合っても気持ちをセーブする癖がついてしまった友人がいた。 心をコントロールできるものならば、それを恋とは決して言えない。そんな気持ちでいるのなら、それなりの男としか出会えるはずもない。
 ちなみに私は「仕事が忙しくて出会う暇がない」と言う女が嫌いだ。己の魅力のなさを棚に上げて、恋愛に縁のないことを仕事のせいにするなんて、最低だと思う。 どんなに暇を持て余していても、魅力のない女に誰も振り向きはしない。反対にたとえ一日20時間働いていたとしても、素敵な女性を男が放っておくはずがないのだ。
 説教臭くなってしまったけれど、30歳を過ぎたからなんだというのだろう。自信を持って生きていれば人は輝く。輝く女には、傾向と対策なんぞを学ばなくともいい男が寄って来るものだ。

 ところで結婚に限らず、恋人がいなくとも、人生を楽しんでいる人が私は好きだ。
 若い頃、なにかと理由をつけては集まって飲んでいた仲間たちの半分は未だに独身。青春の縮図を共に見守ってきたかけがいのない友人たちとは、飲む機会は減っても、現在に至るまで楽しく付き合っている。
 もちろん彼女たちは、変てこりんな講習会に参加したりはしない。



 
 

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