Happy Birthday to me



 誕生日が楽しく、うれしいものと思えるのは、一体何歳までだろう。
 人それぞれだろうけれど、『平均的なサイズのバースデー・ケーキに年の数だけのローソクを立てることができるまで』、 というのが一説である。この一説は、今私が考えついたので気にしないで下さい。
 心温まるバースデー・ソングの後、一息で火を消すことが可能な本数は、肺活量にもよるけれど、そうは多くない。プレゼントをたっぷりもらえておいしいものをお腹いっぱい食べれて、まわりにちやほやされる特別な一日を堪能できる歳、要は『子供でいられる歳まで』という意味である。
 さてさて、さる25日、私も三十数回目の誕生日を迎えた。 誕生日といっても平日なので、いつも通り会社へ行き、お昼につけ麺を食べ、午後また仕事をして帰る、 と、まったくもっていつもと変わらぬ一日であった。せめて夕飯には何か好きなものを食べようかなと思っていたら、夕刻、亭主から、
「熱が出たらしいので、先に帰って、寝てる」 との電話。
 やれやれ、である。
 ラーメンが食べたいというので、家に戻ってから麺を茹で、もやしを湯がき、ネギを刻んで亭主に先に食べさせる。猫がけたたましく鳴くので缶詰を与えると、飢えてがっついたおかげでルーがすぐに吐き出す始末。
 ゲロを片付け、猫トイレのそうじ。そうじをし終えた途端、いつものごとく、ココが新しい砂の上にう○こをする。
 なんだかなあ。 ねえねえ、君たち、おねーちゃんはね、今日、お誕生日なんだよ。 この前の猫の日(2月22日)に出かけてしまって君たちをほったらかしたのを怒ってるの?
 まあ、いいか。 誕生日が「素敵な日」であったのはもう、過去のことなのだ。
 それでも、北海道に住む亭主の祖父母から「誕生日おめでとう」の電話をもらったのはうれしかった。 彼らにとって、私は『何歳になってもかわいい孫』のお嫁さんなのである。
 一方、私の母はプレゼントが思いつかないので毎年の通り、たばこを送ってくれると言う。 こういうことがあるのだから、まだまだ誕生日も捨てたもんじゃないのかな。
 結局その夜は、家事を一通り終えた後、冷蔵庫の残り物でチゲ鍋を作り、一人用の小さな鍋をつつきながらビールを飲んだ。
 「あー、体調悪いっ」と繰り返す亭主の横でテレビを見、いつも通りに就寝。
 年に一度の『特別であるはずの日』は、こんなふうにして終わった。
 けれど、事故にもあわず事件に巻き込まれることもなく、家族一緒に床につけるのが、何よりめでたいことに違いない。



 
 

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