夜明けのミルク



 少し前の話になるのだけれど、何種類ものキムチを土産に亭主が社員旅行の韓国から帰ってきた
 いつもなら就寝時間。しかれども、激辛党の夫婦は耐え切れずついつい新しいビールをあけ、早速、にんにくの芽のキムチを皿に盛り、散々つまんでしまった。

 明け方、喉が乾いて目を覚ました私はキッチンに向かう。その時、胃の底から湧き上がるなんとも言えない臭気にむせ返りそうになった。まあ、寝る前にあれだけ臭いものを食べたのだから、仕方がない。でも、まずいじゃないか。数時間後には満員電車に乗り、会社へ行かねばならない。 ふと思いついて、牛乳を飲むことにした。少しは口臭防止になるだろう。
 冷たい牛乳を一気に流し込み、再び眠りにつく。
 そして迎えた翌朝。激辛ものを食べた上に冷たい牛乳である。当然の結果としてお腹がグルグルと不吉な音をたてている。
 まずい・・・・・・。けれど仕事を休むほどでもないので、何度かトイレで格闘した後、家を出た。
 やっぱり冷たい牛乳が悪かったかなあ、と、ここで連想をストップすればよかったのだ。ところが、『牛乳』というキーワードから、あることを思い出し、私の心は不安でいっぱいになってしまった。
 数日前、ちょっと目をはなしたすきに、キッチンの調理台に置いてあった牛乳パックを猫のルーが倒し、こぼれた液体を舐めていたのだ。この猫は食事制限をしているため、年がら年中腹をすかせていて、私が立ち上がる度に「飯をよこせ」としつこくつきまとう。
 今朝、亭主がコーヒーに入れるために出した牛乳(私はブラック派)、ちゃんと冷蔵庫にしまっただろうか? またあの場所、調理台に置き忘れているような気がする。
 考え始めたら止まらなくなった。いつもよりあわただしく出てきたので、まるで覚えていないのだ。パックにはまだたくさんの牛乳。あれを全部飲んでしまったら・・・・・・。普段与えないものなので、ルーの胃もびっくりすることだろう。そして、飢えたあの猫のことだ。たとえ腹がいっぱいになっても、ここぞとばかりに舐め尽くしてしまうに違いない。
 駅へ向かう私の足は重くなっていた。連想が妄想に変わり、もう、いてもたってもいられなくなった。
 踵を返し、家へと戻る。ついさっき挨拶を交わしたマンションの管理人が不思議そうにあたふたとエレベーターに乗る私を見送る。はたして・・・・・・。
 そこに、牛乳はなかった。ちゃんと冷蔵庫にしまってあったのだ。ああ、ひと安心。当の猫たちは、突然戻ってきた私に何の興味もなさそうに、こたつの中で眠っていた。
 会社がフレックス制だからこんなことができるわけで、あのまま会社に行っていたら、気になって仕事も手につかなかっただろうな、と思う。 けれど、牛乳より何より怖いのは火の元である。毎朝すべてのコンセントやガス台をチェックしていくが、それでも一歩外に出ると不安がつきまとう。夫婦共稼ぎのご家庭では、一度ならずこんな経験があるのではないか。
 けれど一日中そんなことを考えていては共働きなんぞできっこない。昼間は誰もいない我が家。けれど夜になればそこにが灯が点り、笑い声が満ちる。それを守ってゆく為に、働いているわけなのだから。



 
 

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