野良猫受難時代



 数年前、散歩中にケガをした仔猫を見かけたことがある。目の辺りが腫れ、全身弱りきっているのが一目でわかった。放っておけば、確実に死んでしまう。
 こんな時、どうするか。
 私は後ろ髪をひかれる思いでその場を立ち去る。そして、自分の無力を責める。何年も、いや死ぬまで罪の意識に苛まれることだろう。(実際は、気になってもう一度戻った時、猫はもういなかった。他の通行人が拾ってくれたらしい。)

 彼女はケガをした猫を見捨てることができなかった。手当てをし、運良く回復した猫に外で餌を与え続けた。 立派なことだと思う。けれど彼女は知らなかった。猫は餌場を嗅ぎつける。栄養をたっぷり摂った元気な猫たちは繁殖に励む。その結果として仔猫がごっそりと生まれる。そしてその仔猫たちがまた餌をもらいにやってくる。
 やがて隣近所から苦情がくる。お隣は飲食店。猫の糞尿の匂いはたまらない。そしてとうとう裁判沙汰に。
 彼女に下った判決は、『150万円の賠償命令』。一匹の猫を救った結末がこれである。
 初めのうち、詳細を知らなかった私はこの判決に憤慨した。けれどそこには複雑かつ醜悪な人間の争いが潜んでいたのである。
 お隣に清掃を促されても彼女は無視し続ける。提訴されると、知人たちと共に嫌がらせに近いことを始める。お隣さんは精神を病んでしまった。そのあげくの判決だったのである。
 彼女の気持もわからないではない。野良猫が食物を摂取するのは難しい。ゴミ箱を漁るか、盗むか、人間にお裾分けをもらうしかない。彼女がしていたことは猫たちにとっては完璧な好意である。その好意を邪魔する人間がいる。腹が立って当然だ。
 ただ、彼女ミスがあるとしたら、最初の猫に去勢手術を施さなかったことだ。自宅で飼えない事情があるのなら、少なくともそうするべきだった。それが嫌ならば、助けるべきではなかった。野良猫に手を差し伸べるのならば、その後々まで発生する責任に背を向けてはならない。広い庭があって、十分なお金があれば、私だっていくらでも動物たちを助けたいのは山々なのだ。
 とはいえ、彼女に悪意はなかったのは確実だ。元気になった猫を見るのがうれしくて、餌を与えているうちに、気づいたら10匹に増えていた。実際はそんなところだろう。それより、猫たちの声を代弁した行為に違いないのだろうけれど、嫌がらせをしてしまったのは致命的だった。結論としては仕方のない判決なのかもしれない。
 けれど、一番悪いのは言うまでもなく人間だ。私は以前からしつこく言っているけれど、地球は人間だけのものではない、猫だって食べて糞をする権利がある。今、あなたの居る場所。そこだって、大昔は犬猫その他の動物たちが自由に濶歩していたのだ。人間が、彼らの生きる場所も食物も奪ってきたのだ。
 迫害された動物たち、そして捨てられたペットたちを哀れむことが罪ならば、人間、そして稀少種以外の動物はいつか絶滅してしまう。
 それにしてもこの判決によって、これまで野良猫に餌を与えていた人々が、こぞって餌付けを止めてしまったら、と思うと暗澹とした気持ちになる。 結局、この一件で一番被害を被ったのは、紛れもなく、野良猫たちなのである。



 

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