EIGHTEEN



 自分が18歳になったばかりの頃、何を思って過ごしていたかを考えてみた。 志望大学に合格し、憧れの東京での一人暮しも決まり、一日中ウキウキ、ワクワクしていたものだ。インテリアの雑誌を開いては、どんな部屋にしよう、カーテンの色は何にしよう。こんなお皿を買おう、と。
 新しい友人が増え、日々夜の街へ繰出し、合コンに参加して、素敵な大学生の男の子と恋におちる。 私の頭の中は、間違いなくそれらの妄想でいっぱいだった。劣化ウランの危険性についてなんぞ、一秒たりとも考えたことなど、決してなかった。

「自己責任」「偽善」「考えが甘い」
 無事に救出されて何よりだが、様々な意見が飛び交っているイラク人質事件。 政治的なことはよくわからないけれど、正直、これほどまでに非難の言葉を浴びせる理由が、私にはわからない。
 戦地に放り出された、罪なき子供たちの存在を、知らぬ人はいない。何かしてあげたいと思う。けれど時間もなければお金の余裕もない、と、言い訳ならばいくらでも並びたてることはできるけれど、本心は、今の生活を捨ててまで、他国の人間にかまってられるか、といったところではないか。
 要するに、
「自分がやらなくても誰かがやってくれるだろう」
 といった、甘ったれた考えに他ならない。後ろめたさに理由をつけるのは、簡単なことなのだ。
 かくいう私にしたって、その一人に違いない。そして、私と同様、何もしないでいる全ての人々の罪の意識を背負って、彼らは戦地に降り立った。
 少年は18歳。人生で一番輝く時にだけ味わえる、ありとあらゆるときめきや楽しみを捨て、いつ砲弾が落ちてくるかもわからない埃だらけの大地に足を踏み入れた志は、あっぱれだと思う。
 確かに認識の甘さはあったかもしれない。けれども、純粋さというものには、常に『向こう見ず』という言葉が付き纏っているものではないか。そして、そんな純真さを全人類がこぞって失ってしまったら、一体、この世はどうなってしまうというのだろう。無償の愛も憐れみもない、無味乾燥な世界を想像してみて欲しい。
 危険だとわかっている場所に行く本人たちが悪い、と言うけれど、ならば、劣化ウランを作り出したものは誰か、子供たちから親を奪い、飢えさせているのは誰か、そもそもこんな馬鹿げた戦争を引き起こした者は、一体誰か。つきつめていくとキリがないけれど、彼らの行為が迷惑で、間違ったものであると言えるのは、果たしてどれだけ立派な人物であろう。
 きれいごとを並べていると思われるかもしれないが、これだけは言える。 少なくとも、ほんの一瞬でも、あの子供たちを気の毒だ、と思いつつも手を差し伸べずにいる人間に、彼らを愚か者と蔑む資格などない。全然、ないのだ。



 


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