乗換駅の夕立



 ずいぶん迷ったけれど、他のテーマを書く気にもなれないので、気持を切り替えるためにも、文章にしておこうと思う。
 先日のゴジラ展で小さなゴジラのフィギュアを2つ買った。ひとつは自分用に。もうひとつは、連休明けにでも入院中の上司に持って行こうと思っていたものだ。
 ところが、GWが終わってほどなく、様態がよろしくないのでお見舞いは遠慮するようにとの伝達があった。そして、お達しからわずか3日後、突然の訃報を聞いた。
 上司といっても、年は私とさほど変わらない。あまりにもあっけない、若過ぎる死だった。2年も前に余命を告知されながら、仕事を続けていたという話も、初耳だった。
 上司というより、私にとっては数少ないゴジラ仲間で、入院直前まで顔を合わせれば仕事の話よりもまず、今年で最後となるゴジラ映画の話で盛り上がっていたものだ。 ここ最近は、ゴジラ・シリーズのDVDがもう少しで全作揃う、という自慢話をしょっちゅう聞かされていて、そんな人がまさか己の僅かな命の期限を知っていたなんて、一体、誰が気づいただろう。
 好き嫌いがはっきりしていて、疳積持ちで、それでもチョコエッグのおまけひとつでたちまち機嫌を直してしまう子供のような人。最後に見舞った時ですら、さすがにやつれてはいたけれど、いつもの調子で憎まれ口を叩いていたのだ。こう言っては語弊があるかもしれないけれど、死を間近にして悟りを開いたような人には、とても見えなかったのだ。よほど強い人間でなければ、到底真似できない。

 告別式の日、静かに読経が流れる中、弔問客の記帳場にいた私は晴れわたる空をずっと見上げていた。そうでもしないと、うっかり涙がこぼれ落ちそうだった。故人にしてあげられる最後の役目。案内係が泣いているわけにはいかないのだ。
 葬儀の後、奥様にゴジラのフィギュアを手渡した。仏前に供えて下さるという。死の直前、最後の帰宅をした時にも、ゴジラのDVDを観ていたそうだ。

 まだまだ先と思っていたけれど、こうして、友や同僚を見送る機会も、次第に増えていくのだろう。 誰もがこんな時、もう若くはないと初めて気づくものなのかもしれない。
 そんなことをぼんやり考えながら、帰路、乗り換えた私鉄電車が動き出した瞬間、雨が車窓を濡らした。 皮肉なくらい良く晴れた日だったというのに。
 ちょうど精進落しも終り、家族、親族も散り散りになる頃。あれは、故人が降らせた涙雨だったのかもしれない。
 亡骸に対面して、骨を拾わせて頂いてもなお、実感がわかない。今でもひょっこり姿を見せて、話かけてきそうな気がする。
「おーい、ゴジラのDVD、買ったかー?」
 と。



 


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