これも冬の一日


 クリスマスだからといって、ここ数年、特別なことをした記憶はない。せいぜい、いつもの食事にちょっと色を添えてそれっぽい食卓にするくらい。 シャンパンもワインも開けず(1本くらい飲んだかなあ?)、これまたいつも通り、ビールをぐびーっ。
 それで、十分満足。結婚7年目ともなれば、こんなもんである。
 けれども、独身時代はそうもいかない。特に一人暮しの若者にとっては。
 12月24日。それは、決して一人で過ごしてはならぬ特別な一日なのである。
 決まった恋人がいればよい。いなければ『いない者同士』で集まって飲むのもよい。
 最悪なのは、一緒に過ごす相手がどうしても見つからなかった場合である。一人で暮していて、これほど惨めなことはない。 たった一人のクリスマス・イヴほど情けないものは他にないのだ。
 クリスマスのバカヤロウ、と叫びたくもなるだろう。だいたい、なんだい、仏教徒のくせによ、関係ないキリストの誕生日にいやらしいことしようだなんて、 イヴだ、プレゼントだと騒ぐなら、聖書の言葉ひとつくらい言ってみろってんだ、と、悪態のひとつもつきたくなるだろう。
 しかし一体、日本におけるクリスマスにこんな風習がはびこりはじめたのは、いつからなのだろう。
 本当のクリスチャンは祈りを捧げに教会へ行き、あとは家で静かに家族だけで食事をとるという。
 なぜ毎年日本だけ大騒ぎしているのだ? なぜ聖なる夜に足並み揃えてエッチしなくてはならないのだ?
 煌く街角のイルミネーション、白い粉雪、ゆらめくクリスマスキャンドル。
 たしかにロマンティックだけれど、ここぞとばかりにはしゃいでいる大多数の人々を見ていると、キリストさんが気の毒になってくる。誰も彼の為に祈ったりはしないんだろうなあ。
 まあ、私にしたって若い頃は
「イエス・キリストの誕生日? へえ。んで?」
 と、しらーっとして飲みまくっていたのだから、今の若者を責める資格はないのだけれど。
 クリスマスというものは人間(特に日本人)を、大きく2つに振り分ける。
 ある者は笑い、ある者は溜め息をつきながら夜を過ごす。
 運悪くお相手の見つからなかった皆様、幸運は来年のために貯金しておきましょ。過ぎてしまえばクリスマスなんぞ、いつもの変らぬ冬の一日でしかないのだから。


 


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