東京夢小路

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「おはようございます」
 店のドアを開けると、いつものようにママ がボックス席で花を活けていた。
「おはよう」  
 この銀座のクラブに移って半年が過ぎた。今まで勤めた店の中で も長い方。ここは居心地がいい。やっと辿り着いた安息の地と言っ たら大袈裟だけれど。  
 開店間際、残る三人の女の子たちも続けて出勤すると、ママが姿 勢を正して挨拶をする。
「今日もよろしく頼みます」
「ママ、今年も南さん、来るのかしら?」
 店一番の古株、香奈さん が聞いた。
「ええ。電話をもらったから」  
 予約客だろうか。それとも今日は何か特別な日なのかしら?  
 ほどなく、五十代とおぼしき男性が一人、大きな花束を手に、店 に入ってきた。
「いらっしゃい、南さん」
 ドアが完全に開くよりも早く、ママが立 ち上がって出迎える。  
 ソファに座った南さんは花束をママに差し出した。
「誕生日おめ でとう、ママ」  
 あれ、と私は思った。ママの誕生日は私と一日違いのはず。ママ が私の様子に気づいて目配せをすると同時に、香奈さんが耳打ちす る。
「今日がママの誕生日だって思い込んでいるの。毎年この日、 福島から出てくるのよ」  
 南さんは私を見て、
「お、新顔だね」
 と人懐こそうな笑顔を向けた。
 女の子に囲まれ、終始機嫌のよい南さんとの楽しい会話は尽きなかった。その純朴な人柄に、私もすぐに打ち解けた。このての店には 珍しくカラオケを置いていない店内に、笑い声がこだまする。  
 それにしてもまだ週始めとはいえ、他にお客さんが来ないなんて 珍しい。私はがらんとした店内を見回してから、カウンターへ入っ た。アイスペールの氷がなくなりかけていたからだ。製氷機をかき 回しているところに、ママが隣に立って漬物を切り始めた。
「ママ、今日が誕生日って……」  
 ママは囁くように答える。
「彼は昔の常連なの。リストラにあって故郷の福島へ夜行列車で帰 るって日に、寄ってくれたのよ」
 ママは懐かしそうに目を細めて南 さんを見る。
「でも次の年もその次の年も南さんはやって来た。大 きな花束を抱えてね」  
 都会に翻弄され去ってゆく者でも、絶望の一日を煌びやかな一夜 に変えてしまう力を確かに持っているらしい。  
 やがて今夜の夜行に乗るために席を立った南さんを、全員で見送 った。ママがタクシーを拾うため、彼に付き添う。皆、笑顔で手を 振った。ふと振り返ると、いつのまに掛けられたのか、白いプレー トの上の『本日貸切』の文字も、微笑っているように見えた。


 


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