「何をぼーっとしているの。ほら」
沖に浮かぶ小島を眺めていた私は、姉の言葉で我に返る。
促されて白い灰――父の遺骨を壷から掬い、船から身を乗り出して陽光が反射する海に流す。
気持ちよさそうに水に溶けてゆく父の骨。何よりも愛した故郷の海で、この先ずっと安らかに眠れることだろう。水面に浮かべた花々は静かな波に乗り、次第に視界から遠ざかっていった。
「あの小島にまだ花は咲いているのかしら」
私が先程まで考えていたことを、姉も口にした。
浜辺から手漕ぎボートで父とあの島へ渡った子供時代の休日。手付かずの無人島は狭いながらも幼い姉妹にとっては未踏のジャングルで、どこに目を向けても自然の神秘に満ちていた。
道なき道を父に手を引かれて歩きながら、はしゃぎどおしだった夏の日。
やがて父は足を止め、小高い丘を指差して言った。
「この丘の上に咲いている赤い花の中で、一番背の高い花を摘むと、幸せになれるんだよ」
すかさず姉は走り出す。続いて私も後を追ったが、その頃から機敏で要領のいい彼女はあっという間に駆け上がり、堂々と咲き誇る"一番背の高い花"を摘み取った。
その花が効を奏したのか、彼女の人生は順風満帆に過ぎ、今に至るまで家庭にも仕事にも恵まれ続けている。
「貴女の花嫁姿も見たかったでしょうね」
姉の言葉に悪意がないのはわかってはいたが、それは父に対し、私が後ろめたく思う事実の一つだった。
あの花さえ摘んでいれば。馬鹿らしいとは思いつつ、以前は姉の幸運を横目で見ながら、何度も悔しさを噛み締めたものだ。
浜に戻り、父が眠る海に手を合わせ、散骨式は終わる。
「こっちにもきれいなお花があるよ」
あの日父はそう言って、泣きじゃくる私を手招きした。けれども私は意地になって泣き続け、ついには一輪の花をも摘むことなく、島を後にした。
そして、父が私に幸福を指し示すことは、もう二度とないのだ。
浜で待っていた娘たちの手をとり、先を行く姉の後を、私は歩き始めた。
ふと、何かの気配に気づき海を振り返ると、赤い点のようなものが波打ち際に揺れているのに気が付いた。見間違えるはずもなく、それは、沖の小島の丘に咲く、あの幸せの赤い花だった。
「もう、お父さんは貴女に甘いんだから」
いつの間にか戻ってきた姉が、半ば呆れたような笑顔で私を見下ろしている。私の手でようやく摘み取った幸福の花びらに、父の眠る海の水滴がきらきらと輝いていた。
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