影踏み

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 裏の公園に子供たちの声が響いている。既に夕刻。そろそろ息子の智也を迎えにゆかねばと、私は外へ出た。  
 無邪気に走りまわっているだけかと思ったのだが、誰に教わったのか、彼らは影踏みをして遊んでいる。いつも同じ顔ぶれの近所の子供たち。皆、揃って今年の春、小学校に入学した。その中に一人、見慣れぬ少女の姿があった。今時珍しいおさげ髪に赤いスカート。初対面のはずなのに、どこかで見たような……。古い記憶が蘇る。ああ、そうか。あの時の少女に似ているのだ。  
 そのうち、他の家の母親たちがやってきて、子供の名前を呼ぶ。散り散りに別れる間際、その少女が、足をひょいと伸ばして、智也の影を踏んだ。  
 二十年以上も前のある夏の日、幼馴染みの聡が森に甲虫を獲りに行ったまま行方不明になった。大規模な捜索の末、聡はついに見つからず、神隠しではとの噂も流れた。前日、一緒に遊んでいた私を含む数人の子供たちに、何か変わったことはなかったかと、刑事たちが聞いた。優しい口調ではあったが、ただならぬ緊迫感を察した私は、泣きじゃくりながら何も知らないと言い続けた。ただ、影踏みをして遊んでいただけだと。
「あの時、知らない女の子が一人いたよね、おさげ髪の」  
 随分経ってから、私は思いきって当時の仲間に言った。
「知らない」
「覚えていない」  
 誰の記憶にもなかった。聡の失跡という大きな衝撃で消え去ってしまったのかもしれない。けれど、私は覚えていた。確かにその少女は一緒に遊んでいたのだ。スカートの赤が今も目に焼き付いている。
「ねえ智ちゃん、今日、一緒に遊んでいた女の子、なんていう子?」  
 居間でサッカーボールを転がしていた智也が動きを止める。
「女の子なんていなかったよ。よっくん達とサッカーやってたんだもん。男ばっかだよ」
「影踏みをしてたじゃない?」  
 智也は不思議そうな表情で私を見つめる。
「何それ? そんな遊び知らないよ」
「そう」  
 私は狐につままれたような気持でキッチンに立った。言い様のない不安が胸の奥からこみ上げてくる。  
 誰の記憶にもいない少女。なぜ、私だけが鮮明に覚えているのか。気味の悪い虫が身体中を這うような恐怖を覚えた。あの日、聡が消える前日、あの少女は、聡の影を踏んだのだ。今日のように、別れ際、ひょいと足を伸ばして……。
「智也!」  
 振り向くと、毒々しい程に赤い夕陽が射す居間に、サッカーボールがぽつんとひとつ、転がっていた。


 


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