GODZILLA RHAPSODY, 2000

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 道が空いていたおかげで、車は早々と東京近郊にさしかかった。相変わらず人っ子ひとりいない。空っぽの車の行列が延々と続いているだけた。僕はラジオをあきらめ、古いカセットテープをかけた。ブルース・スプリングスティーンが『ハングリー・ハート』を歌う。これも既に四分の一世紀も前の歌なのだ。
 いつしか忘れ去られていった狂騒曲たち。僕は首を振り、アクセルを踏み込んだ。そして突然、道が途絶えた。
 高速道路は途中からしっかりと崩れ落ちていた。ずっと先に道路の続きが見える。僕は車から降りて下の道の様子を調べた。とても車の走れるような状態ではない。歩いていくしかなさそうだ。どこかに見捨てられたバイクくらいあるかもしれない。どっちにしろ、ゴジラはもう遠くはない。僕には確信できた。ゴジラは僕の側にいる。いつだって側にいたのだ。
 僕は一番近い高速の出口まで戻り、下の道に降りた。想像以上にひどかった。軍手を持ってくるべきだった。けれどもう、戻れない。僕は歩き始めた。
 大きなコンクリートの塊を上り、また下り、ぐしゃぐしゃに潰れて重なり合った車の上に立っても先が見えなかった。僕は無残に変形したベンツの上に腰を下ろし、一休みした。
 本当にこんなことをするべきだったのだろうか。妻と子供を置き去りにして、殺されるかもしれないのにわざわざゴジラに会いにゆくなんて。けれど、間違っていたのは、僕の人生そのものだったのかもしれない。だとしたら、僕は僕が積み上げてきたたくさんの罪をどうやってつぐなえばいいのだろう。
 彼女とはどうして別れたんだっけ? 
 傷つけるような別れ方をしただろうか。
 冷たい言葉を投げつけただろうか。
 自己嫌悪……これもずっと感じたことがなかった。愛とか憎しみとかせつなさとか、若い頃、僕を動かしていたすべてのもの。僕は失いかけていた。けれど僕は今、彼女の言葉を思い出す力がある。ゴジラに会いにゆく勇気も。何も変わってはいなかった。変わったのは僕の方だ。移り変わってゆかぬものなどないと、思い込もうとしていただけだ。そして僕は帰ってゆく。1990年、僕が愛したもの。僕の魂から抜け出ようとしていたもの。そうだ、元通りだ。僕はゴジラに会いにゆく。会いにゆくぞ。

 太腿の筋肉が攣り始めていた。スポーツなんかここ数年していなかったせいだ。額から流れ続ける汗が目に入り、僕は手の甲で顔を拭った。目を見開くと、横倒しになったオフロードバイクがあった。それはまるで天から突然降ってきたクリスマス・プレゼントのように見えた。僕は疲れを忘れ、椅子取りゲームのようにあわててそれに駆け寄った。
 鍵はかかったままだった。僕はバイクを抱き起こしてまたがり、エンジンをかけた。なんだか『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいだ。過去はいつも息づいている。とりかえしのつかないことは皆、未来への道標になる。でも僕はこれまで何を見てきたというのだろう。いつの間にか今いる場所さえも見失っていたじゃないか。まだ間に合うのなら、ゴジラは僕を待っていてくれるだろう。そして僕を再び、いつか見た光りの中へと導いてくれるだろう。

 100メートル走っては転び、また走ってはコンクリートの破片にぶつかり、バイクから転げ落ちた。至る所にガラスの破片が飛び散っている。掌は皮が剥け始め、血だらけになりながらも、僕は止まらなかった。街は肺を病んだ犬のように薄汚れ、ひっそりとしていた。あちこちに大小のクリスマス・ツリーが倒れている。
 彼女と過ごしたたった一度のクリスマス。彼女の部屋にツリーはなかった。小さなポインセチアの鉢だけが、クリスマスらしいと言えば、クリスマスらしかった。僕が持ってきたシャンパンはあっという間に空き、彼女はよく冷えたワインを出し、眠くなるまでそれを飲んだ。彼女は時折、眼を伏せてはそのまま何十秒も黙り込んだ。僕がどうしたのかと尋ねると、思い出したようにステレオのスイッチを入れた。
「クリスマス・ソングを忘れていたわ」
 彼女にはわかっていたのだろう。僕と過ごす最初で最後のクリスマスを。
 ハンドルを握る手から血が滴り落ちた。息を吸い込む度に、ひどい悪臭でむせかえりそうになった。目には絶えず埃が入り込み、滲み出る涙が視界を遮った。
 あの夜、彼女は思い切り泣きたかったのかもしれない。今さら胸を痛めてもどうなるものではないけれど。でもずっと先に、死んでしまったこの街が、再びイルミネーションで飾られる時が来るならば、遠い彼方へと消えていった歌は僕を慰め、記憶の底で彼女は僕に微笑みかけ、メリー・クリスマスと囁くだろう。

 2000年の東京。僕は戻ってきた。


 


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