聴こえないレクイエム

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 ある昼下がり、知らない男の人がやってきて、僕を車に乗せた。 ひょっとして、パパとママの元へ帰れるんじゃないかと、一瞬、僕 の心は弾んだ。
 けれど、お惣菜屋のおばちゃんが血相を変えて走り寄るのを見て、僕は本能的に自分の死を予感する。
 ハムをくれる肉屋のおじちゃんや毎朝僕に声をかける女子大生のお姉さんも集まって、男をひきとめようとするけれど、彼は無表情のまま車を発進させた。
 お姉さんの叫び声が次第に小さくなって、車は優しかった人 たちから遠ざかった。

「よ、ワン公」  
 連れてこられた場所で入れられた小さな箱に、毎日餌を運んでくる若者が初めて声をかけてきた。
「街の人たち、お前の飼い主を探すんで、躍起になってるぞ。運が 良きゃ、ここから出られるかもな。ま、明日の朝がリミットだけど」  
 やっぱり、パパとママは迎えに来ない。わかりきっていたことじ ゃないか。パパは仕事をなくして、家も手放す事になって、もう僕 とは暮らせないと言った。パパは何度も謝りながら、僕を、あの街 に置き去りにした。  
 翌朝、僕は窓のない小部屋に移された。
「恨まないでくれよ」  
 若者がそう言ってドアを閉めた瞬間、身が竦んだ。
 なぜ、僕はこんなところに? 吠えるから? ゴミ箱をひっくり返すから? いじめる人もいたけれど、僕は街の人たちと、うまくやってきたじゃないか。
 息が出来ない。内臓が破裂しそうだ。
 僕は誰も噛んでいない。僕は猫をいじめていない。
 どうして、誰が僕の死を決めること が出来るの。  
 苦しみから開放された時、僕は空へ続く坂道を登っていた。途中、 あの街が見えた。公園の砂場で、お姉さんが泣いている。僕らが初めて出会った場所だ。
 あの日、お姉さんはミルクを買って僕に飲ま せ、僕に新しい名前をくれた。
「シロは天国へ行けたかしら?」
「アパートじゃ飼えないからって、張り紙したりインターネットで呼びかけたり、あんた精一杯やったよ」  
 お惣菜おばちゃんがお姉さんを慰める。
「出来ることはみんなやったんだ。シロの運命だったんだよ」  
 ハムおじちゃんが言う。  
 僕のために泣いている人がいる。だから僕にも、生まれてきた意味はあったらしい。  
 もう、いいよ。
 僕はお姉さんの背中に語りかけた。  
 聞こえるはずのない僕の声が届いたのか、お姉さんはようやく立ち上がって呟いた。
「人間だけの地球じゃないのに」  
 おばちゃんが頷いて、僕の好きだったシュウマイを、お花の横に、そっと添えた。

 


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