Welcome Home


 今日も子供たちがやってきて、金網越しに僕を見る。期待に満ち た顔が一瞬で驚きの表情に変わる。いつものことだ。子供は正直で、そして残酷だ。その後の落胆を隠しもせずに、不満を口にし、ある いは泣き出しそうになりながら去って行く。チガウ、アンナノジャ ナイ。若いカップルが僕の姿を笑う。ヤダ、ナニコレ?
 それらが蔑みの言葉だということは、長い年月を経て理解できる ようになってしまった。いつだって僕は彼らに失望しか与えることができない。最初の頃は傷つきもしたけれど、今はもう、すっかり慣れてしまった。
 遠い昔、ずっと昔、海に棲んでいた頃、僕の側には家族が居て、仲間が居て、可愛い恋人も居た。僕は海面近くをのんびりと泳ぐのが好きだった。太陽の光で暖められた海水は僕の身体をやさしく包 んだ。
 ここに連れてこられた前後の記憶ははっきりしない。気がつくと僕はこの、巨大な温室の一角にある小さなプールに居た。大きな僕 の身体にはあまりにも狭すぎる海。それでも泳ぎを忘れないよう、 一日に何度も往復するのが日課となった。いつの日か、大海へ戻る日のために。けれど、そんな日は永遠にやってこないことを、いつ しか僕は悟った。最近はプールを一往復するのも億劫になってしま った。身体がやけに重い。うっかりすると意識を失いかける。
 またカップルがやってきた。ワア、マダイキテタンダ。そう言っ た女性の顔に、微かに見覚えがあった。誰だろう。前にも来たことがあるんだろうか。いや、ここのところ記憶もあやふやだから、勘違いかもしれない。まあ、いい。考えるもの疲れた。眠ってしまお うかと思ったけれど、その前に女性の顔を確かめる。彼女は楽しそ うに微笑んでいた。それを見て、僕の心も和んだ。ここへ来て初めて僕は幸せな気分になり、そっと眼を閉じた。
 眼瞼の裏にママの姿が浮かんだ。恋人の顔も見えた。僕は陽の射 し込む大海原で、仲間たちと戯れながら、ゆったりと泳ぎ始めた。
「ねえあなた、この前実家に帰った時、近くの植物園に行ったでし ょ。あそこのジュゴン、死んだんですって」
「ああ、君が子供の頃、人魚が来たって聞いて一番乗りで見に行っ たら、あんまり想像と違うんで、すごいショック受けたってやつね」
「かわいそうに」
「二十年以上も前だろう。長生きの方なのかな?」
「さあ」
 あの時泣き出した私を宥めた母の言葉が甦る。
 よく見てごらん。生き物はみんな、美しいんだから。


 


海と島の小説集INDEXHOMENEXT