** はじめに **

 駆けつけた病院の受付で、事務員の困ったような笑顔を見た瞬間、不安が確信に代わりました。案内されたのは、緊迫するICUでもなく、白い病室でもない。『霊安室』と小さな札が掲げられた、簡素な一室でした。
 2002年5月14日のことです。

 父が初めてハワイを訪れたのは1995年。既に1日の殆どをベッドで過ごしていた父が、大動脈瘤の手術を受ける少し前のこと。
 親孝行はおろか、いつまでも心配ばかりかけていた私は、貯金をおろして格安ツアーに申し込みました。ささやかな、本当にささやかな親孝行のつもりだったのです。
 初訪問ですっかりハワイが気に入った父は、それ以後、病身を奮い立たせ、どうにか2度ハワイを訪れ、「もう一度だけハワイに行ければ死んでもいい」が口癖となりました。
 けれど、最後の願いは叶えられることなく終わってしまったのです。
 婿養子だった父は、我が家のお墓に入ることに、生前からあまり気が進まない様子でした。事情は伏せますが、父にとっても決して居心地の良い場所でないことは、残された私たちにもわかっていたのです。
「葬式もしなくていい、戒名もいらない。遺骨は、適当に海にでも撒いてくれればいい」
 自分は病気でたくさんお金を使ってしまったから、死んでからも迷惑をかけたくない、とのこと。
 大好きなハワイまではるばる出かけて散骨してくれとは、言えなかったのだと思います。
 だからこそ、白い布で覆われた父に誓いました。
 私が絶対にハワイに連れて行くからね。又一緒に行こうねと。
 
 結局、年を越してしまいましたが、このたび、ようやく実現に至りました。
 そして2003年3月15日、オアフ島、ワイキキ・ビーチ沖にて、父は永遠の眠りにつきました。
 ここまでくるのに、色々と疑問に思うこともあり、散骨の意義を改めて考えさせられました。

 誰にでもいつか最期の時が訪れます。金持ちだろうが貧乏人だろうが、死というものは、生き物である限り、平等に訪れるものです。私も死んだらどこかの海に還りたいと願っています。そう考えている方は決して少数ではないでしょう。
 私の場合、まだその場所は決まっておりません。けれど、その時が来たら、執行してくれる人(それは夫なのか兄なのか甥、姪になるのかわかりませんが)が、困ったり、迷ったりしないよう、今回の記録を残しておきたいと思います。


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