マニュアルよ、さようなら


 先日、かき揚げを作ったら、大失敗して、アメーバのような物体が出来上がってしまった。具(冷凍の海老やイカ)の水気が切れていなかったのと、油が十分温まってなかったのが原因か。 いずれにせよ、どの角度から見てもすごくまずそうである。出来損ないのお好み焼きをぐちぐちに混ぜ、さらに油をぶっかけたようだ。
「もう一回、さっと揚げ直した方がいいんじゃないか」
 と、あまりに見事な失態に立ちすくんでしまった私の代わりに亭主がキッチンに立つ。
「すっげー、まずそう!」
 と言いながら、アメーバをおたまですくい、高温の油にもう一度潜らせ、ひっくり返す。なんとか形がついたので、しっかり油を切って、皿に盛る。 不気味な外見は変わらないけれど、それなりのかき揚げの味になったので一安心。あやうくおかずナシになるところだった。
 けれど、かき揚げがどうしても食べたかったわけではない。前日、ちくわの磯辺揚げを作った際、うっかりと分量を間違えて衣がたくさん余ってしまったのだ。 三つ葉もあるし、よーし、いっちょかき揚げでも作って天ぷら経験(詳しくはコチラ)を積んでみようではないか、と思い立っただけだ。
 もちろん材料は全て目分量。私の家には料理の本は一冊もない。私の料理に『レシピ』というものは存在しないのだ。
 なぜって、ただ読むのが面倒臭いから。だからこんな風に、料理とはとても呼べない一品が出来上がったりすることがままある。
 料理に限らず、私は『説明書』とうものを読むのが苦手。というか病的に嫌いと言ってもいい。だからいつまでたっても携帯電話だって『とる』か『かける』しかできない。
 一人暮らしの時、通販で炬燵を買い、当然説明書も読まずに組み立て始めたら、案の定、ネジが何本かあまってしまい、 結局、渋々説明書を見ながら何とか組み立てた。最初からきちんと読んでいれば早く済むことは重々承知しているのだけれど、どうしても読む気にはなれないのだ。
 一体どういうわけで、こんなことに拒絶反応が出るのか、さっぱりわからない。ひょっとしたらDNAのレベルで説明書・解説書の類が『大好き』か『死ぬほど嫌い』に分別されているのではないか。 だとしたらもうどうしようもないことなので、これからも私は説明書もレシピもついでに論文の類も読むことはないだろう。
 幸いなことに亭主は何を作るにしても使うにしても、じっくりと説明を頭に叩き込んでからとりかかるタイプなので、生活上、困ることは殆どない。
 夫婦というものは、上手い具合に得手・不得手を補っているのだ。
 特にOA機器に関しては、私は手も足も出ない。一度聞いたことも忘れてしまう。
 先日、亭主が留守の時にDVDを観ようと思ったらさっぱりわからなくて、あちこちいぢくったあげく、結局観れなかった。壊れていたらどうしよう・・・・・・。
 それにしてもこんな私が会社では業務マニュアルなんぞを作っているのだから、世の中というのはおかしなものだ。
 新卒者の研修資料、新人さんたちはちゃんと理解してくれるかな。


 


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